
四次元の中に存在するパラドックス。
これをどう解決するか。

この次元は四次元だが、例え三次元でも二次元でも、その境界というものはかなり曖昧であり、究極的に言えばその境界は存在しない。
たとえ、一枚の紙が平面である「二次元の世界だ。」としても、紙自体には四次元に存在する限り厚みが存在するし、最後の一要素である時間も存在する。
放置していれば劣化するし、いつしか朽ち果ててしまう。
例えその過程がどうあれ。
経年劣化でボロボロになろうが、虫に喰われようが、火事で燃えようが結果的に「朽ちる。」事に変わりない。
紙が「平面の世界。」だと言っても、そこには凹凸が存在し、微視的な視点で観察してみれば完全に四次元に存在すると言う以外ない。
インクの乗り、紙の繊維。
それらを総合的に考えればそれは最早平面的な二次元の世界ではなく、完全に三次元とそれに時間を足した四次元の世界であると結論付けざるを得ない。

では、何故次元を区切って世界の構造を理解するのか?
それは恐らく、「それが人間にとって都合が良いから。」と言う単純な理由に過ぎない。
人間の理解、解釈方法にあった構造でこの世界は理解される。
何故なら、「その世界」を理解するのは人間以外に存在しないからである。
少なくとも、現時点で人類が知りえる限り、、、
もしこの次元よりももっと次元の高い存在が居るとするならば、彼等は我々の存在をどのように観ているのだろうか。
低次元の卑小な生命体としてみているのだろうか。
それとも、その次元の低さ故に彼等の意識にさえも入っていかないのだろうか。
彼等に認識さえもされない存在。
それが人間なのかも知れない。

ただ、少なくとも人類が認識し、理解する限りでは四次元の世界に存在できて良かったと思えなくもない。
空間が突如として歪む事があるような五次元に存在する人は前触れもなく唐突に空間を移動してしまうかもしれない。
それが意図的な結果ならばそれに超した事はないが、完全に偶発的に起こると非常に困った事になる。
時として命に関わる結果にもなり得る。
少なくとも、四次元の世界に居る限り、次の瞬間星が生まれる瞬間と場所の高エネルギー空間に放り出されずに済む。
何の用意もなしに真空に放り出されたら誰一人として生存する事はできない。
そう考えれば、不自由な事は色々あるものの、四次元の空間に存在していて良かったとも思える。
少なくとも、認知せずに次の一瞬で死ぬ事は稀である。


いろいろなコトを、そして自分のことを。空はなぜ青いか、なぜあのコが好きか、なんでもいい。人生は楽しい。考えることがたくさんある