もし、この宇宙のどこかに「神」が存在するならば、俺は聞きたい。
キリスト教が説くように、「その存在が絶対的に良いものだ」とするならば何故、この地球上から破壊行動や紛争、内戦、戦争やありとあらゆる人間の愚行を取り去らないのか。
そもそも、何故最初から人間に「そんな事をしよう」と考えさせる余地さえも与えたのか。
俺が神ならば「そんな事」を考えさえもしないように人間を作るからな。
「神が完璧な存在」であるならば、「その創造した物も完璧である」筈。
なのに何故この世界には不完全な物ばかり存在するのか。
不完全なものばかりならばまだしも、動きもしない、自分の意思さえも持たない無駄な存在ばかりではないか。
無駄に広い宇宙、無駄に永い時間。
空間、時間、ともに無駄である。
そして宇宙の誕生の瞬間には無駄な次元さえも存在した。
何故に「完全な存在である神」が、そんな不完全なモノを作り出したのか。
それ以前に、何故宇宙などを作ろうと思ったのか。
何故作ったのか。
キリスト教が説くようにもし神が、「神は逆らう事もできない絶対的存在であり、唯一正しい、良い存在である。」とするならば、世界中で現在も起こっている悲劇をどう説明するというのか。
「良い存在」ならば何故動物や植物、ありとあらゆる生命体を、「捕食活動をしなければ生きられないよう」に作ったのか。
一神教の説く事は、正に矛盾である。
マッタク持って筋が通っていない。
非論理的であり、理論的に説明したならば、スグにでも理論破綻をきたす。
「信仰の価値」なんてものは初めから無いが、それを物理的世界における行動原理にするなどもっての外だ。
正に、「信仰は愚行」である。
「生きる事」。少なくとも動物にとってそれは食べる事でもある。
即ちそれは、「他の命を奪って自己保存をする」事であり、やっている行為としては悪である。
勿論、食べられる側にしてみればそんな事をされてはたまったものではない。
牛も豚も鶏も、人間に食べられる為に生きているわけではない。
勿論、動物だけに限らず、植物もそうだ。
どんな小さなバクテリアでさえも同じ。
「食物連鎖だ。」なんだかんだとは言うものの、それは結局の所「罪」以外の何物でもない。
他の命を奪う事。しかも承諾もなしに。
そしてその後の供養も感謝の行動や言葉さえもない。
それを「悪行」と呼ばずして何と呼ぶ。
人間に食べられる為に、大豆はその実を実らせているわけではない。
大豆やコメ、麦、その他の野菜がその実を実らせているのは、自分達の遺伝子を子々孫々に伝えていく為である。
それらは自分の命をつなぎ、そして子を作り、命を伝えていく為であり、つまりそれらは決して人間の為に生まれてきたわけでも、ましてや「人間に食べられる為」に生まれてきたわけではない。
人間がそれをやられたら絶対に嫌がるくせに、自分達は平気でそれをやってのける。
例えば人間が地球外生命体の家畜であった時に、それを素直に受け入れる人間がいるだろうか。
いる筈がない。
いや、そもそも、人間が存在している事自体が他生物にとって脅威であり、地球にとっても害悪しか及ぼさない滅ぶべき存在である。
なのに何故そんな愚かな生物が地球上に跋扈して、そして傲慢に振舞って平気な顔をしていられるのか。
理解しがたい。
俺が神ならばとっくの昔に人間を滅ぼしてる。
勿論、神は存在しないのだからそんな事はどうでもいいんだが、、、
結局、この物理的な世界に影響を及ぼせるのは、自分の意思を持ち、自分の力をその意思によって制御できるものだけである。
いっくら何を信じても、頼っても、自分が行動を起し、何かを変える努力をしなければ、永遠に何も変わらない。
キリスト教が説くように、「その存在が絶対的に良いものだ」とするならば何故、この地球上から破壊行動や紛争、内戦、戦争やありとあらゆる人間の愚行を取り去らないのか。
そもそも、何故最初から人間に「そんな事をしよう」と考えさせる余地さえも与えたのか。
俺が神ならば「そんな事」を考えさえもしないように人間を作るからな。
「神が完璧な存在」であるならば、「その創造した物も完璧である」筈。
なのに何故この世界には不完全な物ばかり存在するのか。
不完全なものばかりならばまだしも、動きもしない、自分の意思さえも持たない無駄な存在ばかりではないか。
無駄に広い宇宙、無駄に永い時間。
空間、時間、ともに無駄である。
そして宇宙の誕生の瞬間には無駄な次元さえも存在した。
何故に「完全な存在である神」が、そんな不完全なモノを作り出したのか。
それ以前に、何故宇宙などを作ろうと思ったのか。
何故作ったのか。
キリスト教が説くようにもし神が、「神は逆らう事もできない絶対的存在であり、唯一正しい、良い存在である。」とするならば、世界中で現在も起こっている悲劇をどう説明するというのか。
「良い存在」ならば何故動物や植物、ありとあらゆる生命体を、「捕食活動をしなければ生きられないよう」に作ったのか。
一神教の説く事は、正に矛盾である。
マッタク持って筋が通っていない。
非論理的であり、理論的に説明したならば、スグにでも理論破綻をきたす。
「信仰の価値」なんてものは初めから無いが、それを物理的世界における行動原理にするなどもっての外だ。
正に、「信仰は愚行」である。
「生きる事」。少なくとも動物にとってそれは食べる事でもある。
即ちそれは、「他の命を奪って自己保存をする」事であり、やっている行為としては悪である。
勿論、食べられる側にしてみればそんな事をされてはたまったものではない。
牛も豚も鶏も、人間に食べられる為に生きているわけではない。
勿論、動物だけに限らず、植物もそうだ。
どんな小さなバクテリアでさえも同じ。
「食物連鎖だ。」なんだかんだとは言うものの、それは結局の所「罪」以外の何物でもない。
他の命を奪う事。しかも承諾もなしに。
そしてその後の供養も感謝の行動や言葉さえもない。
それを「悪行」と呼ばずして何と呼ぶ。
人間に食べられる為に、大豆はその実を実らせているわけではない。
大豆やコメ、麦、その他の野菜がその実を実らせているのは、自分達の遺伝子を子々孫々に伝えていく為である。
それらは自分の命をつなぎ、そして子を作り、命を伝えていく為であり、つまりそれらは決して人間の為に生まれてきたわけでも、ましてや「人間に食べられる為」に生まれてきたわけではない。
人間がそれをやられたら絶対に嫌がるくせに、自分達は平気でそれをやってのける。
例えば人間が地球外生命体の家畜であった時に、それを素直に受け入れる人間がいるだろうか。
いる筈がない。
いや、そもそも、人間が存在している事自体が他生物にとって脅威であり、地球にとっても害悪しか及ぼさない滅ぶべき存在である。
なのに何故そんな愚かな生物が地球上に跋扈して、そして傲慢に振舞って平気な顔をしていられるのか。
理解しがたい。
俺が神ならばとっくの昔に人間を滅ぼしてる。
勿論、神は存在しないのだからそんな事はどうでもいいんだが、、、
結局、この物理的な世界に影響を及ぼせるのは、自分の意思を持ち、自分の力をその意思によって制御できるものだけである。
いっくら何を信じても、頼っても、自分が行動を起し、何かを変える努力をしなければ、永遠に何も変わらない。


さて神とは・・神学論をやる気はありませんが・・君のような定義の神は存在しないけど・・違う定義の神なら存在するということも言えますね。
違う神の定義ををすれば・・どのように都合よく解釈もできますよ。
日本人の信じる八百万の神々・・実に素晴らしい神々です。
僕自身神の末裔です!!
全てを神と認めて・・恐れ敬うこと・・人は神々の前には実に無力であることを自覚して生きる。
どうですか・・・現在の人々の思い上がり傲慢・放埓勝手気ままな行いを自然神は自然の脅威をもって償わせる。
僕はそう考えます。
多分一瞬で移動してしまったので、詳しく読んでないと思います。
神学論もキリスト教の宣教師みたいな押し付け、押し売りがなければ面白い議題なんですがね、しかし常に政治的な要素が絡むからメンドクサイし、争いになるんで普通の人はやりませんが、俺は普通じゃないから突っ込む。
しかもケンカ腰たっぷりで。
一神教にだけしかそんな事はしませんがね。
多神教は大抵の場合寛容で和平的だからね。
ケンカ売るまでも無い。
平和な思想と言う意味では多神教は好き。
神の定義がそもそも曖昧だから結論がいつまでもでない。って事は色んな人が知っておくべきでしょう。
いや、それ以前に、神学論は形而上学だから基本的に答えは出ない。
それを前提に空想の世界を旅するのなら楽しい議題ではありますよ。俺もそれは認める。
多神教は俺も嫌いじゃないですが、やはり信じるどーのこーのの議論は下らない。
「神の末裔」って人間そのものの事でしょうかね?
と言うか俺は神の末裔じゃなくて神そのものだった。
と、言う事もできる。
証拠は無い。
だから「信じる」のだ。
この宇宙を作ったのは俺で、それでその魅力故に「その中に入ってみたい」と思ったから俺と言う存在としてこの宇宙で生まれた。
ただ、気が付いてみれば神も、一旦その自分が作った宇宙の中に入ってしまえば、その物理的法則が適用される。つまり一方通行であると言う事。
人間が神にはなれないが、神は人間になれるという意味。
故に「俺が神である」という証明はできないし、そもそもそんな高次元の事を低次元の存在である人間にしたとしても到底理解できる内容ではない。
だから、「証明するだけ無駄」と言うもの。
何故、「自分が神である」と言う記憶があるのか?
それはその情報だけ思い出したか、もしくは残っていたから。
神が知っている知識を人間の小さな脳に入れるにはあまりにも容量不足だったが、その事実だけは残しておきたかったから残した。
とまぁ、色々言えますよ。
俺は古代宗教、つまり縄文人達が考えていた世界観が知りたいなぁ。
古代宗教は基本的に多神教で、自然と接して生活している文明は多神教に必然を辿る。
つまりそれは人間の器、、、ではなく、文化の器が大きいと言う証拠でもある。
まぁ、俺は信仰心皆無だから信じはしないが、でも古代の人間が何を感じ、何を考えていたのか知りたいと思う。自然崇拝は好きだ。
浪漫があって良いと思うんだけどなぁ、、、でも凡人にしてみりゃ、「何いってんの?キモーイ!キャハハハ!バカじゃーん。」って事なんだろうねぇ。
まぁいいけどさ。
神学論もキリスト教の宣教師みたいな押し付け、押し売りがなければ面白い議題なんですがね、しかし常に政治的な要素が絡むからメンドクサイし、争いになるんで普通の人はやりませんが、俺は普通じゃないから突っ込む。
しかもケンカ腰たっぷりで。
一神教にだけしかそんな事はしませんがね。
柳 四郎
殆ど同じことを塩野七生氏が書いてますね・・僕も同じ考えです。
聖書の神を信じないもの・・・この排他的考えが世界を悲劇に巻き込んでる・・僕もそう考えます。
聖書の神を信じるものを人とみなし・・それ以外は人に仕えるもの・・・黒人・インデアン・黄色人・・を牛馬と同じ人に隷属すべきものと考える。
現在それが民主主義に摩り替わった・・イラク人を民主主義で制圧する・・民主主義という十字軍。
闇と光の戦い・・何処までも同じ命題。
さてこの問いをどう解くのかが問題です・・どう解きますか?
これが僕の解です。
http://riyushirou.blog96.fc2.com/blog-category-17.html
国連軍設立!!
国際連合憲章 第1章 目的及び原則 第1条 付則 国連軍 を加え。
5兆円の軍事費をそのままにして日本軍の指揮権を国連に渡します。
同じ様に各国の軍隊も国連軍として受け入れる。
実に単純です・・これで国連軍は発足です。
イラクも米国の侵攻以前にこの国際連合憲章第1章 目的及び原則 第1条 付則 国連軍に加盟することが出来たら・・米国の侵攻を許さずに済みました。
193カ国の軍隊をもてない多くのくには・・其のわずかな軍隊を国連軍にすれば他国の侵攻を防げます。
朝鮮の軍隊もそのまま国連に指揮権を渡せばそのまま国連軍となり・・米国は手も足も出ません・・核開発の必要も全くなくなります。
朝鮮軍が国連軍となると韓国侵攻の心配は全くありませんので・・韓国軍は不要となります・・韓国軍がなくなれば朝鮮軍も不要となりま・・この連鎖反応で世界の軍隊は消えてなくなります。
国連軍は軽装備で済みます・・イージス艦も戦闘機も戦車・空母も当然核ミサイルも不要です。
日本の出す5兆円で世界中に1000万の軽装備軍を配置できます・・それにそれぞれの国の軍が加算されて2000万ほどの国連軍が2〜3年で出来上がります。
アフリカや低開発国の紛争はこれで防げます・・どこの反政府組織も国連軍と対峙することはありませんから。
当然軍事独裁は無くなります・・頼るべき軍隊を持たない軍事独裁者など存在できませんから。
紛争の消えた地域の国連軍はそのまま地域開発軍となり地域発展に貢献できます。
俺もそれは考えました。それには賛成ですね。
そして、恐らくそれがこの惑星にすむ地球人が進むべき未来の道でしょう。
もし、「生き残りたい」と思うならね。
良く世間一般で国連が批判され、槍玉に挙げられる事があるが、それは無知の人間がする行為。
元々、共産主義と同じ様に、「国際連合」の思想は素晴らしいものであり、それを元の形のまま強化、推進すればそれで丸く収まる。
しかし、元々ジュネーブにあった本拠地を、無理矢理その政治力でアメリカ本土に移転させた事に象徴されるように、国連の場合はアメリカ及びその中枢を掴んでる白人優位主義者財閥やユダヤ財閥が横槍をいれ骨抜きにしてしまったからいけないわけで、それを見抜けないで国連を批判している人間達は自らの愚行に気が付けない人間と言う事でしょう。
現在の国連の総資産は日本における九州と同じくらいの額だと聞いたことがある。
それじゃ紛争も何も解決できる筈が無い。
勿論、「カネの問題」じゃないが、資本主義社会が横行する現代においてカネが無いのに活動しろとは無理な話し。
いくら正義感が強くても、力が無ければ愛する対象は守れない。
せめて金持ちの国々が今の数十倍の資本援助をもっと出すべきだ。
まぁ、それからの対策は個人の意見によって違いますがね。
まぁ、使う語とか言葉の使い方とかの小さな問題だろうけど、ただ「厳密に言った時」、俺は「軍」じゃなしに、「平和維持活動隊」とか「救助活動隊」と言うような感じの、「同じ目的を持った平和維持活動を行なう人間の集まり。」と言う、要するに「ある特定の人間の集まり」を作った方が良いと思う。
能動的に動くか、受動的に動くかは議論の余地がありそうですがね。
ただ、平和であるべきと言うか自らは絶対に攻めないと言う態度は徹底させるべきですね。「非攻」って事で。
「軍」と付けると大抵バカ右翼や極左翼が反応してギャーギャー騒ぐから。
それに確かにその「軍」って概念はあまり和平的でも兼愛的でもないから。聞こえが悪いって意味でね。
「軍」って付けると、どうしても「攻撃は最大の防御。」とか「攻める事で守る。」って言う矛盾がまかり通っちゃうから、それはやめた方が良い。
単に俺は、「国連はもっと今以上に政治的にも、社会的にも、物理的にも力を付けるべきだ。」と言う意見には賛成ですね。
力の無い者が「何かを助けたい!」って思っても言っても、結局何もできませんからね。しつこいようだけど。
ただ、力は「制御し、何かを守る為」に使ってはじめてその価値があるのであり、アメリカのように弱い者を虐めるどころか虐殺してたんじゃ、むしろ力なんか持たない方がいい。
「力」ってものは本来、弱きを助ける為に存在すべきで、その逆をやってるような存在は存在するべきでさえもない。弱い者を更に痛めつけるような力は必要ないし、そう言った行為自体が排斥されるべき。
国連の問題もありますが、それ以前に人間が「存在としての立場」を間違って考えてる事に最大の問題があるでしょうね。
困っている時はお互いがお互いの事を支えあったり、そうでない時でも愛し合っているような社会を築いていれば戦争なんて概念さえも存在しないし、争いや、そんな大きな事じゃなくても、日常的に行われている汚い行為なんて事も始めから選択肢としてありえなくなるんでしょう。
要は世界の構築方法が間違ってるから、世界中の惨劇が起こるって事。
小さな世界での考え方が、皆兼愛的であれば世界は平和な場所になる筈。少なくとも醜い戦争や虐殺が横行する紛争の無い世界って意味でね。
それを達成するにはデリタよろしく「脱構造」って行為をしていかなきゃいけないんだろうけど、具体的には俺も解らない。
大体「何と何をしたい」って構想はあるが、それを許さない社会が眼前に広がっているから、俺みたいな無力な個人じゃ何を始めようにも何もできない。
そんなオチです。