住居喪失不安定就労者
と、呼ぶらしいです。
「ネットカフェ難民」の事を。
最近の人は。いや、「最近の人」って言うよりは「政府側の人達は、、、」って言った方がいいかも。
何となく流し見してた「NewsJapan」でネットカフェ難民の実態を取材したました。
が、あれは作ってなさそうだし、本当であれば酷い話ですね。
自分も一歩間違えれば仲間入り、、、
恐ろしい。
勿論、誰もがああいう風になる可能性を持っているわけですが。
まぁ、自分の場合は今までの流浪した経験と、持ち得た知恵で何とか渡って行けると思いますが、普通の人々はあそこまでの貧困層に一旦なってしまうと戻って来れないのが今の社会体制であり、そこら辺が地球上の現存する文明の不自然さでもあります。そして恐らく、それは日本国内に限った事ではなさそうです。
しかし、「社会体制」と「個人の意思」と言う意味で、どっちを変えるべきなのか答えに窮してしまう内容でしたね。
あの取材内容は。
ある人は「何の責任も抱えたくないから。」と言い、一方では「仕事をしたくても出来ない」人間がいる。
世襲文化、学歴社会、派閥、村社会、軋轢と下らない要素がこの国を形成しているからああ言った問題が出て来る訳で、この場合に限って言えば日本の社会制度自体を根本から覆さなければならないと結論付けられるでしょう。
勿論、現に今すぐにでもそうすべきなのですが、しかし、「何も変えたくない不精で汚い勢力が権力の中枢を牛耳り、そして大衆がそれに対して全く無関心である」と言う現実が全てを無に葬り去ります。
ただ、何も抱え込みたくない場合は本人の精神的作用の問題なので社会機構を変えても余り価値は無いのかも知れないと言わざるを得ないでしょうね。
ただ、社会体制が根底から覆され、それによって彼が活力を取り戻し、彼自身が精神的に変われるのであれば価値はあると言えます。勿論それでも彼の様な人間であれば多少の疑問は残りますが、、、
長年あのような生活を続けて、それが彼の精神構造に刷り込みされてしまえば、それは変えようの無い基本構造となってしまう為、「希望」は失われたとも言えます。
何故なら、全てのいわゆる「マトモ」な生活を営む要素を提供しても、彼自身が実際にそれを受け取るかどうか判らないと言う危険性があると言う事だからです。
(まぁそれでも彼のような人間も更生出来る可能性が少しでもあるならば、挑戦する価値はあると思いますが、、、しかし社会の人間、その殆どの構成員はそう思っていません。即ち大衆は彼のような人間達を「切り捨てよ」と躊躇いも無く言いのける訳です。そこら辺が私に人間を憎むように仕向ける要素であり、態度を変えなければいけないのは「彼ら」の方であると私は考えている訳であります。)
それに対し、仕事がしたくても出来ない場合の方は日本の社会体制がまずもって問題だと言えるでしょう。
即ち、「彼の責任で貧困に喘いでいる訳ではない。むしろ社会構造が悪いからだ」と結論付けられます。だから救済措置をとるべきだと、、、
そして勿論、現日本における社会構造は完全に狂っていると言わざるを得ない。
世界的に見て、他国と比べれば比べるほどです。
勿論、他国にも非はあるし、問題もあります。が、しかし「日本」と言う国程は悪くない。
それは長年、朝鮮特需による「バブル」と言う幻想に浮き足立って踊らされ、そして身の程を知らず快楽だけ求め続けた結果であると言わねばならず、それは何のことは無い巡り巡って自分達の不貞のツケを払わなければならなかった事を知るまでに至った訳です。
ただ、その張本人達である所謂、「団塊の世代」は自分達でツケを払う事を忌み嫌い、その付けを実の子供達である我々に押し付けようとしている。
勿論、残された残飯で食繋いでいくしかない我々の世代は、未来に何の希望も持てず、後は絶望と事後処理と言う名の尻拭いをさせられる。
我々には誰もがやりたくない後片付け、汚い仕事、絶望に染められた未来が待っている。
しかし、それを拒む事さえ出来ずに、与えられたもの、いや、与えられたものさえない世界で、残されたゴミで自立しながら生活するしかない事実を強いられているのだ。
それが嫌ならば、最後の手段として自らの命をなげるしか方法は残されていない。
環境破壊、温暖化、生態系の撹乱、戦争の傷跡に今も続く内戦。
彼らが僕等に与えた「明るい未来」は光が当たりにあふれる未来と言う意味では、決して、ない。
その真の意味は、単に憎しみと憎悪、争いで燃えているが故の「明るい未来」でしかない。
我々はとんだ「置き土産」を持たされてしまったのだ。
即ち、「負の遺産」である。
その事実を我々の世代はもっと強く認識すべきであり、そしてそれを行動に移すべきでもある。
と、呼ぶらしいです。
「ネットカフェ難民」の事を。
最近の人は。いや、「最近の人」って言うよりは「政府側の人達は、、、」って言った方がいいかも。
何となく流し見してた「NewsJapan」でネットカフェ難民の実態を取材したました。
が、あれは作ってなさそうだし、本当であれば酷い話ですね。
自分も一歩間違えれば仲間入り、、、
恐ろしい。
勿論、誰もがああいう風になる可能性を持っているわけですが。
まぁ、自分の場合は今までの流浪した経験と、持ち得た知恵で何とか渡って行けると思いますが、普通の人々はあそこまでの貧困層に一旦なってしまうと戻って来れないのが今の社会体制であり、そこら辺が地球上の現存する文明の不自然さでもあります。そして恐らく、それは日本国内に限った事ではなさそうです。
しかし、「社会体制」と「個人の意思」と言う意味で、どっちを変えるべきなのか答えに窮してしまう内容でしたね。
あの取材内容は。
ある人は「何の責任も抱えたくないから。」と言い、一方では「仕事をしたくても出来ない」人間がいる。
世襲文化、学歴社会、派閥、村社会、軋轢と下らない要素がこの国を形成しているからああ言った問題が出て来る訳で、この場合に限って言えば日本の社会制度自体を根本から覆さなければならないと結論付けられるでしょう。
勿論、現に今すぐにでもそうすべきなのですが、しかし、「何も変えたくない不精で汚い勢力が権力の中枢を牛耳り、そして大衆がそれに対して全く無関心である」と言う現実が全てを無に葬り去ります。
ただ、何も抱え込みたくない場合は本人の精神的作用の問題なので社会機構を変えても余り価値は無いのかも知れないと言わざるを得ないでしょうね。
ただ、社会体制が根底から覆され、それによって彼が活力を取り戻し、彼自身が精神的に変われるのであれば価値はあると言えます。勿論それでも彼の様な人間であれば多少の疑問は残りますが、、、
長年あのような生活を続けて、それが彼の精神構造に刷り込みされてしまえば、それは変えようの無い基本構造となってしまう為、「希望」は失われたとも言えます。
何故なら、全てのいわゆる「マトモ」な生活を営む要素を提供しても、彼自身が実際にそれを受け取るかどうか判らないと言う危険性があると言う事だからです。
(まぁそれでも彼のような人間も更生出来る可能性が少しでもあるならば、挑戦する価値はあると思いますが、、、しかし社会の人間、その殆どの構成員はそう思っていません。即ち大衆は彼のような人間達を「切り捨てよ」と躊躇いも無く言いのける訳です。そこら辺が私に人間を憎むように仕向ける要素であり、態度を変えなければいけないのは「彼ら」の方であると私は考えている訳であります。)
それに対し、仕事がしたくても出来ない場合の方は日本の社会体制がまずもって問題だと言えるでしょう。
即ち、「彼の責任で貧困に喘いでいる訳ではない。むしろ社会構造が悪いからだ」と結論付けられます。だから救済措置をとるべきだと、、、
そして勿論、現日本における社会構造は完全に狂っていると言わざるを得ない。
世界的に見て、他国と比べれば比べるほどです。
勿論、他国にも非はあるし、問題もあります。が、しかし「日本」と言う国程は悪くない。
それは長年、朝鮮特需による「バブル」と言う幻想に浮き足立って踊らされ、そして身の程を知らず快楽だけ求め続けた結果であると言わねばならず、それは何のことは無い巡り巡って自分達の不貞のツケを払わなければならなかった事を知るまでに至った訳です。
ただ、その張本人達である所謂、「団塊の世代」は自分達でツケを払う事を忌み嫌い、その付けを実の子供達である我々に押し付けようとしている。
勿論、残された残飯で食繋いでいくしかない我々の世代は、未来に何の希望も持てず、後は絶望と事後処理と言う名の尻拭いをさせられる。
我々には誰もがやりたくない後片付け、汚い仕事、絶望に染められた未来が待っている。
しかし、それを拒む事さえ出来ずに、与えられたもの、いや、与えられたものさえない世界で、残されたゴミで自立しながら生活するしかない事実を強いられているのだ。
それが嫌ならば、最後の手段として自らの命をなげるしか方法は残されていない。
環境破壊、温暖化、生態系の撹乱、戦争の傷跡に今も続く内戦。
彼らが僕等に与えた「明るい未来」は光が当たりにあふれる未来と言う意味では、決して、ない。
その真の意味は、単に憎しみと憎悪、争いで燃えているが故の「明るい未来」でしかない。
我々はとんだ「置き土産」を持たされてしまったのだ。
即ち、「負の遺産」である。
その事実を我々の世代はもっと強く認識すべきであり、そしてそれを行動に移すべきでもある。

