廃屋。ハイオク=ハイオクテンの事ではありません。




栄枯盛衰。
文明も生まれては消え生まれては消えを繰り返す。
人間の罪の様に。業苦は繰り返す。


何故文明は誕生するのか。
人は何故生きるのか。
生命は何故存在するのか。
何故この宇宙は生まれたのか。


「夏草や兵どもが夢の跡」松尾芭蕉

この「世界」何故創造されたのでしょう?でも神はいないよ。




鴨長明
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず。或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。』およそ物の心を知れりしよりこのかた、四十あまりの春秋をおくれる間に、世のふしぎを見ることやゝたびたびになりぬ。



希望の光!!!



平家物語

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。
猛き人もついに滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
2007.07.31 Tue l 哲学関係 (Philosophy related) l COM(0) TB(0) l top ▲
パリで食った「ちーずけーく」。めっちゃ美味いで。



この世界が存在するか否か。誰も証明はできない。
この世界の存在証明自体が不可能である。
即ち、疑おうと思えば全て疑えてしまうのである。
一度全てが嘘であり、この世界=この私と言う存在が認知、認識している世界は全て幻想であると考えれば、存在するものなど何もなくなってしまう。

この世界は存在しない。
何故ならばこの「自分が認知している世界」は全て「脳」と言う一つの器官によって解釈されている。
脳内の活動は即ち電子的な反応と、それに付随する化学的な反応のみである。

ここでもし仮に、誰かがその全ての入出力を完全に主体に対して気がつかれない様に制御出来たとすれば、それは即ち、今私の認識している世界は他人により認知させられている世界であり、実際に存在する世界ではない。
と、結論付けられる。

即ちそれはその「脳」こそがこの世界全てを形作る、認識する器官であるから騙されていれば自分に選択権や自由などと言うものは存在しないし、残されていない。

だから私がヨーロッパを放浪した記憶も全て作られた記憶であると言う可能性は完全否定出来ないし、「パリで食べたチーズケーキがすげぇうめぇ。」と言う記憶さえも偽物であるかも知れないのだ。

そして例えば脳内の活動が化学的反応と電子的反応のやり取りであると考えれば、それは即ち情報のやり取りに過ぎず、とすれば別に物質として物理的な世界に存在する必要もない。
つまり、この認識、意識、自我、自分と言う存在がある空間や若しくはそのような場所に存在し、雲の様に浮かんで他の意識体と総合作用しながら集まったり、消えたりする存在であっても良いわけである。


誰もこの世界が存在するか否か、証明する事は出来ない。


独りスキーしてる時に撮った写真である。

2007.07.31 Tue l 哲学関係 (Philosophy related) l COM(0) TB(0) l top ▲
システムとしての資本主義

資本主義とは、即ち貨幣経済である


市場原理主義の解釈として、その価格決定や意思決定は市場に任せ、その責任は市場そのもの自体にあるとする基本的態度。
「資本主義」の概念とは大抵貨幣経済に連想されて語られる物である。

それは自然に決定権を委任し、自然の流れに任せると言う、表面上は理想的思想のように解釈できるが、しかし経済活動そのものを行っているのは人間であり、それを「自然の流れに任せる」などと言う行為はあくまでもていのいい言い訳に過ぎない。

そして事実、その市場を「操作」している人間が必ずしも背景に存在すると言う事だ。

例えばそれはダイアモンドであったり、ミネラルウォーターであったり、ハンバーガーであったりする。
そして今我々を取り巻いている全ての商品であり、それを購入するという事はつまりその8割の確立で消費者は騙されているのである。

厳密に言えば騙されているとはあくまでもその「商品イメージ」で現代社会の経済は運営されており、そこには破局的な終焉を迎える危険性が潜んでいる。
しかしそれは重々にして「イメージ」としてマスメディアに固定概念化されてしまった消費者に気がつく筈も無く、大抵日常の生活においては無意識下に追いやられるか、又は無視されてしまっている。
つまり前述の通り、それ自体が現代社会が孕む危険性である。



実質上「命」の売買

それぞれ人の価値観によって違うが、実質上人身が金銭によって取引されていた(いる)事は事実で、現在も表面化はしないものの行われている。

例えば自分の腎臓を売るタイの人間、売春婦として売買される中国の奥地に住む土着の民族、社会的な機構によりその職業から抜け出せない実質奴隷等々。そして日本の社会における派遣業である。

人身売買、即ち命の金銭による取引は今に始まった事ではない。

その歴史は古く、オスマントルコ時代には既に確立されていた概念である。

しかしそのシステムとしての働きは現代のものとは幾分違うだろう。

その昔はいくつかの国同士が戦を行い、負けた国の人間が買った国の人間に連れて行かれ一部時としては全員が奴隷となった。



「金で人が買える。」それが資本主義の齎した大罪や弊害の一つである。
行きすぎた資本主義は国や生物の種類に関わらず、その社会自体を崩壊させる機能を内包しているのである。
2007.07.31 Tue l 哲学関係 (Philosophy related) l COM(0) TB(0) l top ▲
William Stekel -
- The mark of an immature man is that he wants to die nobly for a cause, while the mark of a mature man is that he wants to live humbly for one.
2007.07.31 Tue l 哲学関係 (Philosophy related) l COM(0) TB(0) l top ▲
桜です。



「散る桜、残る桜も散る桜。」


一人死に、一人生まれて繰り返す。
2007.07.30 Mon l 哲学関係 (Philosophy related) l COM(0) TB(0) l top ▲
この世界はたった今できた。



この事実は完全否定不可能である。


歴史上の記録、文明遺跡、地球誕生の証拠、宇宙背景放射さえもその一瞬に創られたものであり、全ては同時にしかも辻褄の合う様に作られている。
そうであれば、それが誤っている事を証明する事は不可能である。
何故ならば我々にそう言った選択肢さえ残されていない。故に証明の能力が備わっていないのである。






snowtree1.jpg

2007.07.30 Mon l 哲学関係 (Philosophy related) l COM(0) TB(0) l top ▲
My purpose of life is to be as objective as possible although I know it is impossible to be objective at all in theory.


Some socioligist (Vilfrede Pareto)stated that there's ratio of "good" and "evil" in the world.
"Good" must lie somewhere 70% and "bad" must lie somewhere 30%.
When the ratio (good-bad balance) is disturbed, that's the time war, epidemic of disease breaks out or some catastrophic event occur.
2007.07.30 Mon l 哲学関係 (Philosophy related) l COM(0) TB(0) l top ▲
なぜ「感情」は存在するか?(微妙に中途半端版)

アライグマ


特に人間に。又は高等生物において。そして、ここでの「高等」の定義は脳の複雑さとしての高等である。即ち動物にも感情は存在する。若しくはそう解釈可能であるか、少なくともそう見える。

その「理由」と「由来」を解く。(or at least try to solve.)

まず、構造論的な解釈を進めていく上で必要な事は、つまり構造的、生理学的機構に単純な生物に答えや理由を求めていく作業である。一般的に(若しくは私見として)科学的に「正しい」、もう少し正確に言うならば、「客体的」な理解として生物を考察するならば進化論の立場を取るべきであると考えられる。

・ 蟻や蜂などの昆虫に感情は存在するか?
また、社会性を持つ昆虫と、単独行動を取る昆虫に違いは?
→社会性を持つ昆虫の場合:
個体としての外界に対する反応。総体としての反応=感情?
・ 単体物質(例として鉱物などの無機物)、有機物:アミノ酸塩基(DNA)、単細胞生物、爬虫類、小動物、大動物、霊長類、類人猿、旧人類、原生人類

生命体の「複雑さ」と兼ね合わせ「感情」を解釈していく。
「高等な生物ほど感情を持つ。」と言う推論。そしてその「感情の度合い」若しくは「感情の大きさ」「感情としての反応の深さ」。どのような表現でも差し支えないが、人間又は霊長類等の複雑な脳を持った生物が特に感情をより多く持つと言う推論。ここで言う「高等」の定義=「複雑さ」

自然界を見てみると、「脳」と言う器官を持つ生物ほど「複雑」、即ち「高等」だと言える。
具体例としての順序は例えば、昆虫<魚類<爬虫類<動物<霊長類<そして特に「人間」

→推測1:
感情があれば、繁殖に都合がいい。
特に有性生殖をし、且つ高等である生物の場合、肯定的な感情の場合、子育てと言う視点から見れば肯定的な感情は「安定」を齎す要素になる。
つまり感情があればそのツガイが長い間子育てに従事できる。
言わば「感情」が雄雌を繋ぎ止める言わば接着剤として作用する。
子育て期間中に雄と雌が協力し合えば子供が順調に育つ要因と考えられる。即ち子孫の繁栄に最適である。

子育ての成功確率が高まる。あくまでこれは肯定的な感情の場合のみに適用できる考え方である。即ちその「感情」が逆に働いた時は最悪の場合を予測しなければならない。感情には基本的に喜怒哀楽の四種類があり、組み合わせ次第によってはそれ以上存在する。そして否定的な感情が浮かんだ場合は子育てに支障をきたすものであるとも考えられる。場合によっては子育てどころではなくなる。

→推測に対する理由:
動物としての本能は子孫繁栄である。これは進化論に由来する。
動物の生存目的は即ち子孫の繁栄であり、種の保存である。何よりも生命体(個体)は生命活動そのもの(個体の時間差を使った保存。即ち種の保存。)を継続させる作用を内包している。これはどの生物を取ってみても同じであり、どんな生命体にも当てはまる。例え植物でもそれは当てはまる。
生命体の最優先目的として「自己の生存」と、それからそれがある程度安定してきた場合、「種の保存」がある。
手段は違えど生命体(この場合個体)は自己保存のみでなく、それは全ての生命体には寿命が付き纏う。その為自己保存だけでなく、「種」を保存しようとする。そうする事で「寿命による限界」、または「寿命そのもの」を超えようとしている作用とにも解釈できる。

巨視的に見れば生命体の目的とは子孫繁栄、若しくは同じ個体(単細胞生物における自身の複製)の永続。即ち生命体を機構(システム)として解釈した時、その作用とは、機構自体を継続し続ける。「機構(システム)自体の永続」である。その作用にとって、人間やその他「高等生物」(複雑さと言う意味での高等)即ち動物には都合の良い要素であった。だから高等生物に感情は存在する。進化論的に見てもその解釈は妥当である。即ち、もし感情が「機構」継続にとって不都合な要素ばかり齎していた場合、それは機能として淘汰され、今では存在しない筈である。そしてまた、もしそれが不要の場合は未来において、その機能は淘汰され、消滅してしまうであろう。ラマルクの進化論即ち用・不用説である。


養老猛の著書内で取り上げられている、演算機に由来する人工知能と感情による理由付け。
→物質には元々、「癖」や「重み付け」がその誕生時、さかのぼれば宇宙誕生時に内包されている。故に「感情」(志向性や歪み)が存在するのは必然である。例えば電子に負の電荷が在るように。又は物質には必ず重力が発生するように。そしてあるいはこの宇宙にはフラクタルやカオスがその誕生時から内包されている為である。
もしその「重み付け」が存在しなければ生命自体誕生し得ない。即ちまったくの均衡が保たれている時、まったく何も発生などさえしないのである。つまり「完全、又は完璧に安定した状態」が宇宙で保たれていれば、そこに「動き」さえも発生する事はないのである。それはつまり「熱死した宇宙」からは何も生まれないと言う事に他ならない。


拡張した思考。
「炭素」と言う基本構造から言えば動物と人間の組成は同じ。だから動物にも感情はある。
動物と爬虫類の基本構造は、やはり炭素と言う要素で構成されている為、組成は同じ。故に爬虫類に感情は存在する。爬虫類と単細胞生物の組成は、これも炭素、又はアミノ酸レベルでの組成は同じであるから、単細胞生物にも感情は存在する。
仮に、「有機物に感情がある。」∧「炭素を含むありとあらゆる化合物については有機物。」とすると上記の推測は正しいものとなる。


単体として人間の脳細胞が集まり、その「総体が人格である」と定義できるならば、何かの要素を総体とすれば、その集合により人格の形成が可能と取る事もできる。
即ち、例え個体の蟻に感情が存在しなくとも、それが巣と言う単位であるとか、又は一つのコロニーとしての社会であれば「総体としての感情」はありえるとも結論付けられる。

脳細胞と言う意味で「要素郡の総体として」人格が解釈として可能ならば、蟻一匹単体としての人格は不可能だとしても、総体として蟻の人格は存在し得る筈である。
即ち、固体で存在する昆虫に人格は確立できなくとも、集合として存在する昆虫に人格は存在すると結論付ける事ができる。恐らくそれは「社会」を形成する昆虫に範囲をしぼめた時だけ適用できると言う条件付であろう。


しかし、一番の問題がそれ以前に存在していて、
「果たして感情は存在するのか?」
と言う問題なしに、仮に存在すると仮定して議論を進める事は即ち不毛であるとも言える。
2007.07.28 Sat l 哲学関係 (Philosophy related) l COM(0) TB(0) l top ▲
(勿論これはこの世界に存在する事象を理解する「考え方」の一つに過ぎない。)

「利己的な遺伝子」の逆説。

我々は、「我々の精神」、「心」と言ったものは「身体」と言う容器に囚われて逃げる事が出来ない。
即ち「心身は不可分である」との主張に基づき思考した場合、人は身体という「鎖」につながれてそこから逃げる事は一生不可能である。

そう、その個体に単純な、即ち生物学的な「死」が訪れるまでは。
しかし、人類の歴史が始まって以来、恐らく誰も「死後の時間」を体験した事がない。これは確かに主体の知る範囲内でしかないが。

つまり、「恐らく死が訪れると同時に精神の活動は終わるのだろう。」と結論付けられる。それは確かに、突き詰めてみれば「推論の域を出ない主張」ではあるが、しかし「死後の世界」を科学的に証明できた人間は人類の歴史始まって以来存在しない。
その為、上記の主張は否定証明が将来成されるまで「妥当である。」と考えざるを得ない。そしてそれが否定証明できると言う可能性は未知数であり、個人的推論から行っても恐らく不可能であり、地球と言う資源の限られた惑星に住み、それに付いて限られた資源を投資し、研究する事は不毛であると考える。

つまりここで著者の主張したい事は、人間の、若しくは人間に限らずあらゆる生命体の「精神」や「心」と言った物、機能はその存在が続くまで、ずっとその「身体」と言う「牢獄」から抜け出せない。
即ち、人間は一生、「身体」という牢獄の囚人である。




ネコです。

2007.07.28 Sat l 哲学関係 (Philosophy related) l COM(0) TB(0) l top ▲
人は何故生きるか?

ウェブログ初めて初日からこんな事聞くヤツはあんましいないだろうけど、とにかく書き残す。


歴史上ではよく耳にする疑問だから。

色々人によって意見は分かれるみたいだが、それは漠然と、論理的に考えていないからであって、そう言った「何にも解ってない人」が何故人間が生きているかについて話し始めると、収集がつかなくなってしまう。大抵そう言う人間の語っている内容と言うのは「持論の人生論」だ。しかも対象の年齢が主体よりも古ければ必ず説教の要素が混じる。
誰もそんな説教を聞きたくて質問したり、疑問を持つ人間がいる筈もない。

なので普通は整理して考える方が頭の言いやり方だ。


まぁ、その疑問(若しくは疑惑)をもっと進めると、「何故生命体は存在するか?」と言う事まで言えるが、今回はまだそこまで行かない。

何故ならこの世界の疑問はその全てが答えられる、勿論「そこには答えが無い。」と言う答えを考慮した時だが、とにかくその答えが元の疑問以上の疑問を呼び起こすから、自制しなければ止まらなくなる。



今回、特に内容の範囲を限って
「人間は何故生きるか?」について疑問を留めておく。


考えられる答えとしての要素。


・目的

・意味

・価値






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「人間は何故生きるか?」の疑問に対してのまず第一の答え方として(第一でなくとも良いが、便宜上第一とでもしておく)、その目的を答えるものである。

科学を志す、宗教と言う偏った思想に由来しない人間であり、且つ教育をある程度受けている人間であればCharles Darwinが提唱した「進化論」を知っている人間は多いと考えられる。

参考
http://darwin-online.org.uk/

Darwin自身が目的について語ったか、もし語ったとしてもそれは日本語で言う「目的」と言う意味について語ったか知る所ではないが、恐らく進化論の知識があれば当然導き出される答えとして、「種の保存」と言う結論が得られるだろう。


どんな生物も自己の属する種を保存したいと願う、また「願う」と言う行動をとらずとも、結果的に自種を保存している行動が見受けられる。

その過程がどの様なものであろうとも、だ。

例えそれがプラナリアやミジンコ、アメーバの類で自己複製をするものでもだ。

と言う事は人間が生きる目的とはあくまでも「種の保存」の為であり、その固体の子世代、孫世代、ひ孫世代、、、と永遠に残そうとする行為自体が目的であると言える。子孫繁栄を望まない人間はいない。

しかしその「種の保存」そのものが、「それ」が何の為なのかは謎のまままである。

答えは想像に任せた方がいいのか、、、それとも科学が解決してくれるのを加速させるかであろう。











夜駅




次に意味に付いては、解りづらい部分が多い。
意味と言う言葉自体が日常的に使われすぎている為、その真の理解をする者が少ないと言うのが現状のようだ。
日常的に使われている「意味」と言う言葉自体は時として幅を持ち過ぎている。
例えば「何かをした意味がない。」と言う時、重々にして「価値がない」と言う事と取り違えている場合が多い。
本来、「意味」と言う言葉はその言葉の説明文であり、詳細に渡った「その言葉」を説明する文体である。
つまり、意味と言う言葉はその行為や物体、事象を説明する。

この事より、生きる意味とは、世界に存在する二極的要素の均衡をとろうとする作用そのものである。

パレートの見出したべき乗法則を基に解釈すれば、この世界には善と悪、またはそれに似た要素で構成されており、その均衡は約8対2である。勿論細かい数字として必ずしも8対2で必要はなかろうが、便宜上そう言った数字を取った。
そしてその均衡が崩れた時、社会的な破局や事象が起こるとされる。
即ち、その均衡を保つ事自体が結局のところ「人間の生きる意味」である。そしてそのもの事態が人間や、その他の生命体が地球誕生以来行って来た行為であり、その行為は現在も進んでいる。恐らく生命体が消えない限りは続くと考えた方が良さそうであり、しかもその逆をしたいと願う対象は非難され、恐らく排斥される。誰も戦争や災害など望まぬ。

(ところでそれを映画化し、棒読みの台詞で説教じみた事(直訳:う○こ)を垂れると言う罪深き行為をしたのが、その不評さで有名なスタジオ○ブリのゲ℃戦記である。ちなみに自分自身はジ○リファンである。あくまでもハヤオ時代は。)




象












最後に価値と言う要素。
人間は生産活動、または正になるような行動をして始めて生きる価値があると結論づけられる。
勿論その「生きる価値がある」と言う事は、生きていても足しになると言う事だ。
価値には二種類あり、その要素は正と負である。古語として陰と陽と言い表しても差し支えなかろうが、現代その言葉は中華思想を表す時に多用される。

破壊活動を行う人間は生きる価値が無いと判断される。あくまでも社会の中だけの話だが、しかし人間は社会活動をする生命体であり、社会なしには生存の可能性すら危ぶまれるし、子孫の繁栄を望むべくも無い。
ならば人間一人が生きる価値とは生産活動に従事し、繁殖活動や生産活動に貢献する行為をして、初めて「生きる価値がある」と結論づけられる。
つまり、破壊活動を行う人間、生命体は必ずしもこの世界では熱い歓迎を受けるべくも無いのだ。







と言う事で長くなったので一時止める事にする。
良質なサイトとして以下を紹介する。

http://meaningoflife.tv/
http://www.philosophypages.com/
http://www.iep.utm.edu/
http://users.aristotle.net/~diogenes/meaning1.htm
http://nonzero.org/


世界



2007.07.24 Tue l 哲学関係 (Philosophy related) l COM(0) TB(0) l top ▲