人は生きる為に食べる。

「食べる」と言う事は、結果的に「他の生物の命を奪っている」と言う事。
その対象が何であれ、生物を「殺す事」自体が罪であれば、今生きている人間はすべて有罪だ。
人間は光合成をして生きているわけではないし、単体の分子結晶を摂取して生命活動を維持できるわけではない。
必ず、生きる為には食物を体内に取り入れる必要がある。
それがたとえ植物でも、命を奪っている事自体に変わりはない。
何かの命を奪わなければ、人間は食べる事さえできないから。
蛸やシラスの踊り食いでも、結局は人間の体内で死ぬ。
殺している事自体に変わりはない。

どんなに流行のカワイイ服を着飾ってかわい子ぶっても、何かしらの命を奪っている事は否定できない。
いくら強がっても、生命体には必ず死が訪れる。
それを受け入れられない人間は卑小であるとしか言えない。

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人が滅ぶ時、人は何を思うだろう。
2008.09.22 Mon l 哲学関係 (Philosophy related) l COM(0) TB(0) l top ▲

守るべき物があったならまだ救われる。
それさえない者達は浮かばれもしない。
例え守るべき物の為に死んでいくとしても、自ら望んで言った人間など一人もいない。
ましてや普通の精神状態の人間であれば、「自らの死」と言う選択肢は可能な限り最大限避けて通るものだ。
少なくとも、動物的本能が働いているものならば、、、
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こんな愚行を許してはいけないが、しかし現実に今でも自爆攻撃は耐えない。
憎しみが憎しみを呼び、それが更に加速するだけ。
そしていつしか崩壊を迎える。

例えば、子供もいてまだ若いのに特攻機に乗せられた人間や、弾薬もつき武器もないのに夜襲をかけさせられた人間達は多くいた。
そしてそれは多くの場合、無駄死に終わった。
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彼らが取る作戦により、「自分が死ぬ」と解っている最後の時間はどんな事を思ったのだろう。
そして彼らの帰りを待つ人間がいると知っていた人間の無念はどこへ消えればいいのだろう。

旧日本軍だけの話ではない。
チェチェン紛争も然り、コソボ、アフガニスタン、イラク、それにアフリカ大陸に広がる惨劇。
家族をロシア軍やアメリカ軍、レボに殺され、何も失うものがなくなった。
そして憎しみだけが残り、自爆攻撃にでる人間。
少年兵にさせられる人間。
それは全て一つ同じ要因によって発生している。
「未来に希望が持てない」、それは多くの場合「身寄りがない」と言う要素に起因する。
家族をロシア軍やアメリカ軍に殺され、そして家はもとより空爆により何もかも失った。
未来絶望視ゆえの自爆攻撃。
それはどんな人間でも同じ結論にたどり着く。
絶望、故の自爆攻撃。

その人間の中には、時として彼ら彼女らの帰りを待っている者がいる。
その人間達の気持ちはどんなものなのだろうか。



涙があとからあふれだして
最後の笑顔がにじんで見えないの
行かないで 行かないでここにいて
宙へ 光 駆けぬけてゆく


こんなに小さな私だけど
あなたを誰より精一杯愛した
ありがとう 幾つもの大切な気持ち
手渡してくれたよね

「その時ずっと、私は消えかけた飛行機雲を見ていた…」

忘れないで
ひとりじゃない
離れても手をつないでいる
はじめての恋 はじめて知った
こんな悲しみが在ること


なにかが消滅しても何かが再び宿って
別れにくれた微笑みは強く生きようというあなたからのメッセージ

いつかきっと逢える
ふたりならば
遠くても 瞳見つめ合う
希望と夢のすべてを賭けて
約束をしようよ
あの日の激しさを抱いて
明日咲く未来を生きる



「彼らの悲しみはどこへ行けばいいんだろう。」

そんな事を考えていると、今まで自分が生きてきた道が果たして許されるものなのか考えてしまう。
そして過去の歴史的な失態から何一つ学んでいない人類の存続を危惧する事は異常な事なのだろうか迷ってしまう。




「子孫の希望」を救う為に自分達の住む場所を守り、そして散っていった人間の子供達が今、希望さえ持てない世の中で喘いでいる。

世の中に絶望し、そして無関係な人間を恨み、殺す。
こんな世の中、彼らが見たらどう思うだろうか?
きっと残念に思うに違いない。
「自分の命と言う犠牲は、無駄になってしまったのか。」と。

秋葉原で発生した通り魔事件も、その犯人の心境は特攻する人間と似たようなものであるのだろう。
「諦めの境地」と言うか、「自分にはどうにもならない」、「自分には何の選択肢もない」と言う悲観的な心境は、どこか似たような心理的傾向であると思えてならない。
そして捨て身の行動にでる。

「失うものが何もない」と言う状態は、ともすれば一番危険な状態を生み出す。

どちらにしろ、憎しみは憎しみしか呼ばず、悲しみは悲しみを増すだけ。
悪循環を断ち切るのは、人間の意志だけである。

果たして、まだ「希望」は残されているのだろうか。
それが例え一欠けらでも、残っているのならば俺はそれを信じたい。
2008.08.31 Sun l 哲学関係 (Philosophy related) l COM(0) TB(0) l top ▲
連鎖。

広まって欲しいのは「幸せの連鎖」。
ささやかなコトでいい。
それが自然と大きな波になれば、この世界はもっと誰にも住みやすい場所になる筈。
2008.08.31 Sun l 哲学関係 (Philosophy related) l COM(0) TB(0) l top ▲
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全ての始まり。
人類が人類になる前の姿。魚の類だった頃の姿。
人類と言うより、植物や微小生物以外の殆どの生物の祖先。
なんか、感慨深いものがあるなぁ。
人間になるまで何年位かかったんだろうか。
細かい数字は現代の科学でも殆ど未知数。
大体の予想でしか答える事ができない。
2008.08.28 Thu l 哲学関係 (Philosophy related) l COM(0) TB(0) l top ▲
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結局は利権がらみに堕ちるんだよなぁ、、、
元はと言えばサマーランチが黒幕だが。
「オリンピックの商業化」。確かに、ヤツの思惑通り上手くいきました。

これが、「この世界の構造」か。
本当に嫌な世界だ。
政治の腐敗に留まらず、本来ならば和平的なスポーツの祭典が汚れたカネまみれの賭け事と同じレベルに成り下がった。
テレビもクソつまんねぇのに、オリンピックも更に輪をかけてつまらねぇ。
この世界、本当に腐り始めてる。

オリンピックでかき消されてる重要な世界的事件も沢山あったしな。特に今回は。
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大統領を辞めるからって、実権を失ったわけじゃないからな。
プーチンもそうだが。
グルジアの問題も影ではプーチンが主導してるんだろう。
その他にも世界的に重要な情報は沢山あるのにそれを報道しない腐った日本の報道機関。
勇気の欠片もないような臆病者ばかりが集まり、茶番劇を追っかけまわし、自分達まで茶番劇を演じる始末。
原油高騰のニュースが流れなくなったからと言って、問題が解決したかと言えばしてる筈がない。
アフリカ大陸での内戦が報道されなくなったからと言って問題が解決したかと言えば、それも勿論間違い。
凡人はニュースでちょっと見なくなるとその問題がなくなったとでも勘違いしてるらしく、それについて何も言及しない。
アメリカの原潜が日本近海で放射能漏れ起こして、報道しなくなったら放射能漏れは問題ありませんなんてありえないから。
放射能はいつまでも地上に滞留してます。

本当に、思考停止もいいかげんなおそうよ。
2008.08.23 Sat l 哲学関係 (Philosophy related) l COM(0) TB(0) l top ▲
どんな時代も「戦争」と言う概念は存在した。

そこでフト思いついた事がある。



「戦争をして、得をするのは誰か?」と。




答えは簡単に出てきた。

「誰も得をしないのだ。」と。

その参加している対象国数に限定されず、参加した国、組織、社会は全て損をする。
最終的に特になる事など、何一つとしてない。

総合的に事象を解析すればするほど、皆がそれぞれ損失を出している。

戦争で得られるものなど、生産的なモノや正の価値のあるものは何一つない。
無理やり「得られるもの」としてあげるものならば、悲しみや憎しみ、そしてその参加した人間達に一生付きまとう障害や怒りである。
尤も、多くの場合は死であるが、、、

つまり、価値的には負の要素しか得ていない。




「戦争」と言う行為全ては浪費と破壊である。
それ以外の何物でもない。

生産性のある戦争など、皆無である。
それは構造的に不可能だからだ。


「二次大戦や冷戦構造が科学技術を発達させた。もっと戦争をすべきだ。」などとガキの垂れる主張をしているバカがいるが、そう言う人間は何も理解していないが為にそう言った下らない主張をする。
そう主張している本人が一人で戦争していればいい。
誰も他の人間を巻き込んではならない。


そして、戦争はなくとも科学技術は発達した。いつの時代でも。

そこに、「戦争」と言う要素が二次的に重なっただけだ。
そんな当たり前の事を理解できないような人間は、科学も戦争も語る資格を持たない。








もうすぐ人類が始めて同種である人類に対して原子爆弾を使った日。
そして、第二次世界大戦の終戦記念日。

多くの犠牲を払った、あの悲劇的な史実をいつまでも残し伝えねばならない。
二度と同じ過ちを繰り返さないように。


しかし、実際には愚行は止まず、今日も地球上のどこかでお互いを殺しあっている地域が存在する。
アフリカ内戦では第二次大戦、ベトナム戦争よりも多くの犠牲者、死者が出たと言う統計も存在する。
アメリカ軍は未だに劣化ウラン弾を使っており、しかもその事実は自国軍の兵士にも隠していると言う。




やはり、人間は地球の癌なのだろうか。


「戦争」と言う愚行を止めるのも、始めるのも、人間達本人である。
そして尤も、それを食い止める最終的な要素は人間達の態度である。
2008.08.03 Sun l 哲学関係 (Philosophy related) l COM(0) TB(0) l top ▲
論理の基本形。

例えば「ABCDEFG、、、Z」までのアルファベットの順列があるとする。
ココで言うアルファベットの定義は英語のアレである。
別にヘンなトリック質問ではないので捻くれ理解や歪曲した解釈はいらない。


で、前提を決定する。
日常生活では実際のところ「文」や「何かの状態」がアルファベットに入る。
記号や数字のみを扱い結論、予測を出すのは数学の世界。
数学の世界は数学の世界で厳格だから、それはそれの美しさがある。(何回も言うけど、「美しい」は死語なんだと。でも俺は使い続ける。)
俺は数学的な論理の方が整ってて綺麗だと思う。
演繹的、帰納的と分かれるが、論理構造が美しければ俺はどっちでもいいと思う。
一般相対性理論の一般化式は「凄く美しい形である。」と学者は言うけど、俺はまだ理解に至っていない。
その反対に量子力学の一般化式は「凄く煩雑で汚い。」そうだ。
力技と技術って事かな?

ま、とにかく。

A, then B.
B, then C.
C, then D.
D, then E.
E, then F



まぁ、「A is B」 とかとやっても良いが、構造が理解できれば良いわけで、別に書き方に守るべき書式、原則があるわけじゃない。
ここで「A is B」としなかったのは、「見た目がダサいから」ってだけ。
特に深い意味はない。
そっちの方が正しいみたいだけど、ダサいから不採用。
(大学の講師がそう言ってたのを俺が勝手に「お、カッコいいな。」と思ったからってだけ。ま、普通はwith A, then B,,,とするらしいが、俺は哲学科じゃないからそこまで拘らない。)


とする時、その論理過程を辿って初めて「結論」が導き出される。

Therefore,
A is F (とか A becomes F、 A thus F)



であると、、、

コレが論理の基本形であり、小学生程度の知能、推理力を持っていれば誰にでも理解できる事である。


が、しかーし!
コレが実際問題、物理的な世界、即物的社会、現実社会に目を向けてみるとマッタク理解できていない人、及び「自分では理解できている」と思っているが突き詰めて聞いてみると理解できていない人間があまりにも多い。
と言うか、殆どの人間は理解できていない。
特に酷い、日本と言う国に多いのは「文系」の人間。
「完璧に理解する事」は不可能だが、ある程度のレベルまでは行って然るべきだろ。



端的に言えば、その「論理的思考、理詰め、論理過程がメンドクサイ」と言う深層心理が存在するんだろうが、「それは情緒的なものだから、理論で解るはずない。」とか、解ってないくせに解ったような台詞を吐く。
カッコつけたつもりだけど実は下らない、そして遠巻きに自分は頭が悪いと認めている言い訳を垂れる人間が多い。
しかも、だからと言って馬鹿にすると逆上。
もー、こう言う人間と付き合いがあると最低。


だからそう言う人間と何をしても非生産的どころか破壊的。

同じ趣味、運動、議論を共同でしても、何一つとしてマッタク上手くいかない。
何故なら相手が自分の足を引っ張るから。
何やらせても下手クソ。
効率も悪い。
その上、結果が悪いと人のせいにする。
「ほら見ろ!駄目じゃないか!お前がちゃんとやらないからだ!」、、、と。
そう言うバカは、特に団塊や中年に多い。
ま、勿論団塊に限らず同世代にもいるけどな。


ほんとに、、、
もう、こう言う人間と関わると最悪。


論理的思考をしないから、中身が抜けてる事多々。
結論だけ急いで、結局その結論も間違ってる。
仕事を一緒にしていても、中身の作業工程が何かしら二、三抜け落ちている。
だからそれの穴埋めをすると余計に時間を取られて作業が捗らない。
捗らないどころじゃない、仕事が進まない。
その上、仕事が進まない事を特に上司から指摘されると焦って余計にイライラする。
そしてそれを自分に押し付けてくる。
俺は相手の為に自分の仕事以上の事をしているのに、相手は作業が進まない事について不満を俺にぶつける。
もうココまで来ると笑い話。
たまに自分の機嫌が乗ってないと、「悪いのはオメェだろが!」と言う怒号と共にブン殴ってやりたくなる。
でも、それをしちゃうと鍛えてない一般人は死んじゃうからできない。
相手が対等の力なら殴り合いの喧嘩しても「まぁ、痛み分け。両成敗。」で済むが、自分より極端に弱いと殺してしまう可能性があるので手が出せない。
で、大抵の場合は自分より弱い。
結局は俺が我慢。
だから仕方ないので一応言葉で丁寧に、幼稚園児でも解る位に丁寧に説明してやる。

で、そう言う人間に何が悪いか原因を把握してるか確認する為にも聞いてみると、論理的思考ができてないが為に論理過程が抜け落ちている。
つまり、多くの場合は結局、原因が何なのかさえもわかっていない。
途中の論理回路が抜け落ちてるんだもん、理解できるわけないよ。
しかもそれを理解する努力をしようとしない。
それが最大の原因で、「バカの壁」って事になるのだが、、、まぁ、いつまでもやらない。
(その壁を越えた人が賢くなるんだが、なかなか難しいね。たまに超えるツワモノもいるが。そう言うヤツとなら一緒に仕事をしてみたい。)



で、そう言う人に、「その人の為だから。」と思って悪い点を指摘すると逆上する。
「おぃおぃ。あんたの為に言ってるんだよ。」なんて事は絶対に口走っちゃいけない。
何故なら、もっと逆上するから。
一番良い方法は放置プレイ。
「無視」を決め込む事。


浜田幸一なんか連想すればわかるでしょ?
テレビタックル見てても、議論かき混ぜるだけで、「だから」と言って何の結論も持ってない。
でもこう言う人って実は周りにも沢山いる。

「は?いないけど。あんた何言ってんの?バカじゃん?」と思う人は、アナタが「その人」です。
自覚症状ないのは一番痛いよ。
これから改善していきましょう。
さもなければこの世界から消えてください。
アナタが生きてるだけで地球環境にとっては甚大な被害が出ております。

それに、年に40万匹近くの(元)ペットが殺されてます。
人も犬も、大して変わらんでしょ?(それでも「絶対に違う!」と言うなら物理的証拠を用いて論理的に証明しなさい。そう言う主張をするのはお頭の弱い人だから、結局無理だと思うけど。)
大体、ソマリアやコソボじゃ何千人と殺されてるんだ。
それも理不尽に。
それに、「その虐殺」は先進国に生きる人間達が招いたモノだ。
自分たちに災難が降りかかるのを避ける為に自分たちよりも弱い立場の人間に負の価値を振り分ける。
自分の死に方が選べるだけありがたいと思え。



コレも極論とかって理解されがちだが、それはその間の論理回路が見えてない人だから。
俺の意見や主張は良く「極論」のレッテルを貼られるが、その論理過程を見れば誰にでも理解できること。
だからつまり、極論だ何だかんだと自分がバカな時に人をバカにする人間は中身の論理回路が見えてないオオバカ者だって事。
俺は何一つとして極論なんか言ってない。
「すべては論理的帰結だ」と自己紹介欄にも書いた筈だ。


閑話休題


Logic(論理)って概念を理解していない人間がいると議論がゴチャゴチャになって、何の生産的な結論も生み出せなくなるってのはよくある事。

でも、そう言う「論理が何たるかを理解してない人間」が多すぎる。
だからテレビ討論番組で議論を聞いてても、会社の人間と会議してても、電車で話してる頭の悪そうな女子大生の話が聞き耳立ててるわけじゃないのに聞こえても、ネット上の議論を読んでも「呆れ」を通り越して自分の頭が痛くなるだけで、何の生産的な活動もできない。


「論理」って言うのは、聞こえは小難しいけど、これ以上明快で単純なものはない。
「複雑」「難しい」って思うのは、その中身が見えてないだけ。
何故見えてないかは良く解るよね?
自分自身がメンドクサイから、その構造を無視してるんだよ。
自分で。
そりゃ一生掛かっても解らないわな。
周りに誰もおらず、ドアが目の前にある時に、誰かにドアを開けるのを待ってたってドアは開かないでしょ?
それと同じ事。
自分でやらなきゃ何もできないのよ。
自分で理解しようとしないと理解できないのよ。
解る?





そもそも、論理が成り立たなければありとあらゆる科学分野が成立しない。
即ち、論理的思考がなければ近代国家や近代文明は発展しない。
「論理」がなければ、いまだに「魔女狩り」が当たり前のような時代を過ごしている事になる。
それでいいの?
いいならいいけどさ。


それを踏まえた上で凡人達は「論理的な」議論をする人間達を「気持ち悪い」だの「メンドクサイ」だの「細かい」「しつこい」と非難しているのだろうか?


嫌いなら嫌いで構わない。
それは「その個人の、選択的自由」と言える。俺はそう思う。
だがしかし、嫌いであるならばその恩恵は受けるな。
俺はそれが言いたい。

自分達が毛嫌いしておきながら、そして下げずんておきながら、その事象が齎した恩恵や利益だけは貰って行くとは少々卑怯すぎるのではないか?

俺は間違った事を言っているか?




ある人の趣味が電子工作や機械いじりと聞いた時に、「えー!マジ?キモイよ!」と言う反応をするならば、その時点で携帯電話を使うな。
パソコンも、音響機器やDVD再生機も使うな。

機械いじりオタクが嫌いなら、車も電車も自転車も何も使うな。
化学が嫌いなら、ガスを使うな。
塩も電気分解で生成されるものは使うな。
アルミ関連製品も使うな。
アルミは基本的に電離作用(電気分解)で生成するからな。



それが「守って当たり前の態度」だろう?

「嫌なら使うな。」
そんな単純な事がなぜ守れない?
子供でも守れるぞ。
そんな、「取るに足りない基準」は。


ま、いっか。
どうせ人類は近い将来滅びるんだから、滅びるに任せるしかないだろ。

嫌なら行動するしかないが、誰一人として行動しない世界だ。
結論、結果は変えられない。
2008.07.30 Wed l 哲学関係 (Philosophy related) l COM(1) TB(0) l top ▲

「真実は、見える人にしか見えませんから。」



2008.07.09 Wed l 哲学関係 (Philosophy related) l COM(0) TB(0) l top ▲
やっと気がついた。




俺は今まで「物理的な世界」と「精神的な世界」、「理想的な世界」、「空想の世界」、、、と色々な世界に分けて眼前に広がる世界、所謂「現実世界」の事である、およびその事象を理解してきた。

主体が、「あたかも現実である。」と思えるような世界についてはあくまでも物理的な法則が支配し、それを時として人は「現実」と呼ぶ。


勿論、科学をこの宇宙を理解する基軸、そしてその生活の行動原理とする人間にとって、現在自分が住む世界はあくまでも「物理的な世界」だと理解してきた。

しかし、それが一番の盲点であった。
それはあくまでも「信仰」であったのだ。
科学がまだ一般に知られていない時代、恐らく人々は宗教に傾倒し、それを行動原理としたのだろう。
それ以外に行動原理として取る基準が無かったからな。
そうしている愚かな人間達はまだ世界中にいる。
むしろそう言う人間の方が世界的に見れば多い。
そして彼等が宗教戦争を飽きもせず起している。
傲慢さゆえに、、、

そう、「自分達の神は正しい。自分達の宗教は正義である。その宗教を信じている自分達は何をやっても許されるのである。」と、、、

正に愚考以外の何物でもない。

先進国に住む人間は、その理不尽を否定して経済的な発展を手に入れ、物質的に「豊か」になった。
しかし、それは「宗教」と言う信仰が、「カネ」や「科学」に置き換わっただけ。
本質的な活動は何一つ変わっていない。






この、「自分の居る世界」はあくまでも現実世界でも、物理的中立な世界でもなんでもない。
この世界は、「ただの地獄なんだ。」と、、、




「あぁ、そうだったのか。この世界は物理的な世界でも、現実世界でもない。ただの地獄だったんだ。」
そう悟った時は何かある意味感慨深いものがあった。






俺が勘違いしてたのかもしれない。
いや、むしろ俺はそう信じたがっていた。
「この世界は物理的な世界で、科学的な法則に支配され、万物は物理法則に乗っ取って反応している。」と、、、
あくまでもそう人間が思い込むように作られている。
現実を受け入れられず、「物理的世界が目も当てられないような状態であり、端的に言って醜い時、あくまでも理想的な世界を構築する為に行動すべきだ。」と思っていたが、それは間違っていた。

この世界は「ただの地獄」なんだから。
そこに「そう行動する価値」はない。
どんなに行動しても、変わる事などないのだから。


人間は愚行を繰り返すばかり。
「愛ある世界」「平和な世界」などとは程遠い世界がこの世界。
そんなものは幻想でしかない。
自分の抱く理想であり、実現不可能なもの。
決して構築できない「幻影」だ。
「現実世界」と言うのは即ち、幻影でしかなく、その意味は「地獄」である。



凡人が信じている「現実世界」はあくまでも、凡人の「世界観の狭さ」ゆえに固着されている「思い込み」に過ぎない。
そして殆どの場合、その「現実世界」は歪んで理解されている。
自分達に都合が良いように理解され、本当の姿からは程遠い姿になっている。
しかし、やはり凡人は世界観が狭い為にそれに気がつく事さえもない。
いつまでもその狭い世界に囚われ、現実世界を理解する事をしない。
「しない。」ではない、「できない」のだ。
凡人にその能力はないからな。

こうして愚行は今日も続く。
人間がこの宇宙に存在する限り。
2008.07.01 Tue l 哲学関係 (Philosophy related) l COM(0) TB(0) l top ▲
PenroseTriangle.png

四次元の中に存在するパラドックス。
これをどう解決するか。
impossible square

この次元は四次元だが、例え三次元でも二次元でも、その境界というものはかなり曖昧であり、究極的に言えばその境界は存在しない。

たとえ、一枚の紙が平面である「二次元の世界だ。」としても、紙自体には四次元に存在する限り厚みが存在するし、最後の一要素である時間も存在する。

放置していれば劣化するし、いつしか朽ち果ててしまう。
例えその過程がどうあれ。
経年劣化でボロボロになろうが、虫に喰われようが、火事で燃えようが結果的に「朽ちる。」事に変わりない。


紙が「平面の世界。」だと言っても、そこには凹凸が存在し、微視的な視点で観察してみれば完全に四次元に存在すると言う以外ない。
インクの乗り、紙の繊維。
それらを総合的に考えればそれは最早平面的な二次元の世界ではなく、完全に三次元とそれに時間を足した四次元の世界であると結論付けざるを得ない。
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では、何故次元を区切って世界の構造を理解するのか?
それは恐らく、「それが人間にとって都合が良いから。」と言う単純な理由に過ぎない。
人間の理解、解釈方法にあった構造でこの世界は理解される。
何故なら、「その世界」を理解するのは人間以外に存在しないからである。
少なくとも、現時点で人類が知りえる限り、、、

もしこの次元よりももっと次元の高い存在が居るとするならば、彼等は我々の存在をどのように観ているのだろうか。
低次元の卑小な生命体としてみているのだろうか。
それとも、その次元の低さ故に彼等の意識にさえも入っていかないのだろうか。
彼等に認識さえもされない存在。
それが人間なのかも知れない。






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ただ、少なくとも人類が認識し、理解する限りでは四次元の世界に存在できて良かったと思えなくもない。

空間が突如として歪む事があるような五次元に存在する人は前触れもなく唐突に空間を移動してしまうかもしれない。
それが意図的な結果ならばそれに超した事はないが、完全に偶発的に起こると非常に困った事になる。
時として命に関わる結果にもなり得る。

少なくとも、四次元の世界に居る限り、次の瞬間星が生まれる瞬間と場所の高エネルギー空間に放り出されずに済む。
何の用意もなしに真空に放り出されたら誰一人として生存する事はできない。

そう考えれば、不自由な事は色々あるものの、四次元の空間に存在していて良かったとも思える。
少なくとも、認知せずに次の一瞬で死ぬ事は稀である。
2008.06.29 Sun l 哲学関係 (Philosophy related) l COM(1) TB(0) l top ▲