論理の基本形。
例えば「ABCDEFG、、、Z」までのアルファベットの順列があるとする。
ココで言うアルファベットの定義は英語のアレである。
別にヘンなトリック質問ではないので捻くれ理解や歪曲した解釈はいらない。
で、前提を決定する。
日常生活では実際のところ「文」や「何かの状態」がアルファベットに入る。
記号や数字のみを扱い結論、予測を出すのは数学の世界。
数学の世界は数学の世界で厳格だから、それはそれの美しさがある。(何回も言うけど、「美しい」は死語なんだと。でも俺は使い続ける。)
俺は数学的な論理の方が整ってて綺麗だと思う。
演繹的、帰納的と分かれるが、論理構造が美しければ俺はどっちでもいいと思う。
一般相対性理論の一般化式は「凄く美しい形である。」と学者は言うけど、俺はまだ理解に至っていない。
その反対に量子力学の一般化式は「凄く煩雑で汚い。」そうだ。
力技と技術って事かな?
ま、とにかく。
A, then B.
B, then C.
C, then D.
D, then E.
E, then F
まぁ、「A is B」 とかとやっても良いが、構造が理解できれば良いわけで、別に書き方に守るべき書式、原則があるわけじゃない。
ここで「A is B」としなかったのは、「見た目がダサいから」ってだけ。
特に深い意味はない。
そっちの方が正しいみたいだけど、ダサいから不採用。
(大学の講師がそう言ってたのを俺が勝手に「お、カッコいいな。」と思ったからってだけ。ま、普通はwith A, then B,,,とするらしいが、俺は哲学科じゃないからそこまで拘らない。)
とする時、
その論理過程を辿って初めて「結論」が導き出される。
Therefore,
A is F (とか A becomes F、 A thus F)
であると、、、
コレが論理の基本形であり、小学生程度の知能、推理力を持っていれば誰にでも理解できる事である。
が、しかーし!
コレが実際問題、物理的な世界、即物的社会、現実社会に目を向けてみるとマッタク理解できていない人、及び「自分では理解できている」と思っているが突き詰めて聞いてみると理解できていない人間があまりにも多い。
と言うか、殆どの人間は理解できていない。
特に酷い、日本と言う国に多いのは「文系」の人間。
「完璧に理解する事」は不可能だが、ある程度のレベルまでは行って然るべきだろ。
端的に言えば、その「論理的思考、理詰め、論理過程がメンドクサイ」と言う深層心理が存在するんだろうが、「それは情緒的なものだから、理論で解るはずない。」とか、解ってないくせに解ったような台詞を吐く。
カッコつけたつもりだけど実は下らない、そして遠巻きに自分は頭が悪いと認めている言い訳を垂れる人間が多い。
しかも、だからと言って馬鹿にすると逆上。
もー、こう言う人間と付き合いがあると最低。
だからそう言う人間と何をしても非生産的どころか破壊的。
同じ趣味、運動、議論を共同でしても、何一つとしてマッタク上手くいかない。
何故なら相手が自分の足を引っ張るから。
何やらせても下手クソ。
効率も悪い。
その上、結果が悪いと人のせいにする。
「ほら見ろ!駄目じゃないか!お前がちゃんとやらないからだ!」、、、と。
そう言うバカは、特に団塊や中年に多い。
ま、勿論団塊に限らず同世代にもいるけどな。
ほんとに、、、
もう、こう言う人間と関わると最悪。
論理的思考をしないから、中身が抜けてる事多々。
結論だけ急いで、結局その結論も間違ってる。
仕事を一緒にしていても、中身の作業工程が何かしら二、三抜け落ちている。
だからそれの穴埋めをすると余計に時間を取られて作業が捗らない。
捗らないどころじゃない、仕事が進まない。
その上、仕事が進まない事を特に上司から指摘されると焦って余計にイライラする。
そしてそれを自分に押し付けてくる。
俺は相手の為に自分の仕事以上の事をしているのに、相手は作業が進まない事について不満を俺にぶつける。
もうココまで来ると笑い話。
たまに自分の機嫌が乗ってないと、「悪いのはオメェだろが!」と言う怒号と共にブン殴ってやりたくなる。
でも、それをしちゃうと鍛えてない一般人は死んじゃうからできない。
相手が対等の力なら殴り合いの喧嘩しても「まぁ、痛み分け。両成敗。」で済むが、自分より極端に弱いと殺してしまう可能性があるので手が出せない。
で、大抵の場合は自分より弱い。
結局は俺が我慢。
だから仕方ないので一応言葉で丁寧に、幼稚園児でも解る位に丁寧に説明してやる。
で、そう言う人間に何が悪いか原因を把握してるか確認する為にも聞いてみると、論理的思考ができてないが為に論理過程が抜け落ちている。
つまり、多くの場合は結局、原因が何なのかさえもわかっていない。途中の論理回路が抜け落ちてるんだもん、理解できるわけないよ。
しかもそれを理解する努力をしようとしない。
それが最大の原因で、「バカの壁」って事になるのだが、、、まぁ、いつまでもやらない。
(その壁を越えた人が賢くなるんだが、なかなか難しいね。たまに超えるツワモノもいるが。そう言うヤツとなら一緒に仕事をしてみたい。)
で、そう言う人に、「その人の為だから。」と思って悪い点を指摘すると逆上する。
「おぃおぃ。あんたの為に言ってるんだよ。」なんて事は絶対に口走っちゃいけない。
何故なら、もっと逆上するから。
一番良い方法は放置プレイ。
「無視」を決め込む事。
浜田幸一なんか連想すればわかるでしょ?
テレビタックル見てても、議論かき混ぜるだけで、「だから」と言って何の結論も持ってない。
でもこう言う人って実は周りにも沢山いる。
「は?いないけど。あんた何言ってんの?バカじゃん?」と思う人は、アナタが「その人」です。
自覚症状ないのは一番痛いよ。
これから改善していきましょう。
さもなければこの世界から消えてください。
アナタが生きてるだけで地球環境にとっては甚大な被害が出ております。
それに、年に40万匹近くの(元)ペットが殺されてます。
人も犬も、大して変わらんでしょ?(それでも「絶対に違う!」と言うなら物理的証拠を用いて論理的に証明しなさい。そう言う主張をするのはお頭の弱い人だから、結局無理だと思うけど。)
大体、ソマリアやコソボじゃ何千人と殺されてるんだ。
それも理不尽に。
それに、「その虐殺」は先進国に生きる人間達が招いたモノだ。
自分たちに災難が降りかかるのを避ける為に自分たちよりも弱い立場の人間に負の価値を振り分ける。
自分の死に方が選べるだけありがたいと思え。
コレも極論とかって理解されがちだが、それはその間の論理回路が見えてない人だから。
俺の意見や主張は良く「極論」のレッテルを貼られるが、その論理過程を見れば誰にでも理解できること。
だからつまり、極論だ何だかんだと自分がバカな時に人をバカにする人間は中身の論理回路が見えてないオオバカ者だって事。
俺は何一つとして極論なんか言ってない。
「すべては論理的帰結だ」と自己紹介欄にも書いた筈だ。
閑話休題
Logic(論理)って概念を理解していない人間がいると議論がゴチャゴチャになって、何の生産的な結論も生み出せなくなるってのはよくある事。
でも、そう言う「論理が何たるかを理解してない人間」が多すぎる。
だからテレビ討論番組で議論を聞いてても、会社の人間と会議してても、電車で話してる頭の悪そうな女子大生の話が聞き耳立ててるわけじゃないのに聞こえても、ネット上の議論を読んでも「呆れ」を通り越して自分の頭が痛くなるだけで、何の生産的な活動もできない。
「論理」って言うのは、聞こえは小難しいけど、これ以上明快で単純なものはない。
「複雑」「難しい」って思うのは、その中身が見えてないだけ。
何故見えてないかは良く解るよね?
自分自身がメンドクサイから、その構造を無視してるんだよ。
自分で。
そりゃ一生掛かっても解らないわな。
周りに誰もおらず、ドアが目の前にある時に、誰かにドアを開けるのを待ってたってドアは開かないでしょ?
それと同じ事。
自分でやらなきゃ何もできないのよ。
自分で理解しようとしないと理解できないのよ。
解る?
そもそも、論理が成り立たなければありとあらゆる科学分野が成立しない。
即ち、論理的思考がなければ近代国家や近代文明は発展しない。
「論理」がなければ、いまだに「魔女狩り」が当たり前のような時代を過ごしている事になる。
それでいいの?
いいならいいけどさ。
それを踏まえた上で凡人達は「論理的な」議論をする人間達を「気持ち悪い」だの「メンドクサイ」だの「細かい」「しつこい」と非難しているのだろうか?
嫌いなら嫌いで構わない。
それは「その個人の、選択的自由」と言える。俺はそう思う。
だがしかし、嫌いであるならばその恩恵は受けるな。俺はそれが言いたい。
自分達が毛嫌いしておきながら、そして下げずんておきながら、その事象が齎した恩恵や利益だけは貰って行くとは少々卑怯すぎるのではないか?俺は間違った事を言っているか?
ある人の趣味が電子工作や機械いじりと聞いた時に、「えー!マジ?キモイよ!」と言う反応をするならば、その時点で携帯電話を使うな。
パソコンも、音響機器やDVD再生機も使うな。
機械いじりオタクが嫌いなら、車も電車も自転車も何も使うな。
化学が嫌いなら、ガスを使うな。
塩も電気分解で生成されるものは使うな。
アルミ関連製品も使うな。
アルミは基本的に電離作用(電気分解)で生成するからな。
それが「守って当たり前の態度」だろう?
「嫌なら使うな。」
そんな単純な事がなぜ守れない?
子供でも守れるぞ。
そんな、「取るに足りない基準」は。
ま、いっか。
どうせ人類は近い将来滅びるんだから、滅びるに任せるしかないだろ。
嫌なら行動するしかないが、誰一人として行動しない世界だ。
結論、結果は変えられない。